憲法施行70周年記念集会
せんそうはイヤ! 平和がいい!
世界にはばたけ憲法九条

アーサー・ビナード さん
「東京の秋と、核の冬」

2017年9月6日
於 練馬文化センター大ホール

日本語との出合い

 

僕が日本に始めて来たのは1990年の6月1日でした。僕は日本語に出合う前に大学を途中で辞めてミラノに行って、イタリア語を学びながらパン屋さんでバイトしたりしていたのですが、イタリアの人と親しくなって、ある時「アーサー、言葉を勉強しているらしいけれど、二カ国語を話せる人を何というか知ってる?」と聞かれました。私は「バイリンガル」と答えました。3つの言語が話せる人のことは「トゥワイリンガル」と答えると「当たり」、4つの言葉を話せる人をなんというのかと聞かれ、ラテン語の4を意味する言葉を利用して「クァトロリンガル」と言ったら「正解、では一つの言語しか話せない人を何と言う?」と聞かれてわからないでいたら、「アメリカ人」と言われました。その時に僕はアメリカ人を脱皮しなければいけないと思ったのです。一つの言語しかできない国民、かなりの数のアメリカ人は他の国の言語をやらずに一生を過ごしているのです。それがきっかけになったわけではないけれど、多言語から見えてくる発見につながる体験もあって、自分が興味を持った言葉にはもっと溶け込んで、できたら深く掘り下げてみようと思ったのです。
 それから大学に戻ってインドの南にある、かつてはマドラスといっていた町、今はチェンナイと言っていますが、そこでタミル語を学びました。タミル語は英語に比べると10倍ぐらい文字があるのです。260文字ぐらいあります。アルファベットは26文字しかありません。世界に出て見ると英語が一番貧乏だということがわかります。文字もそうです。でもだから国際語になるのかなと思いますが…。そのタミル語を学んだときにアルファベットとは全く違う多様性に富んだ言葉が、自分が英語で考えていたら気付かないことが詰まっていることにも気付きました。インドで4ヶ月間タミル語を学んで、でも大学の一環として行っていたので、戻って卒業しなければと思って、他のことは考えないでとにかく単位を取って卒業しようと決めていたのに、卒業論文のためにいろいろ読みあさっていたら日本語に出会ってしまったのです。
 日本語について書かれた説明を読んだら、日本語には3種類の文字がある。音を表す文字が2種類、そして意味を表す文字もある。音を表す文字の内、ひらがなが50個あって、カタカナも50個ある。そして意味を表す文字は何個あるかわかりませんと書いてあるのです。そこでいろいろ読んで調べてみたら1万字ほどあると言うのです。僕は260個で感動しいていたのに…。1万というのは、文字の数ではない、これはゴキブリとか蟻とか、バッタが大発生したときに1万匹と言うように使う数です。それが文字だというのです。どういう言葉か英語で調べてもわからないので、そこから僕は道を踏み外したのです。タミル語をやるはずだったのに、そして英文学を大学院でやるはずだったのに、大学に行くのを保留にして日本に行って見ようということにしました。その大学は未だに保留です。卒業論文が通って卒業できることになったのだけれど、卒業式の時には池袋にいました。

池袋と練馬で日本語を学ぶ

 

よくどこで日本語を覚えたのですかと聞かれるけれど、その時は豊島区と練馬区と言うことにしています。英語を教える仕事を見つけてやっていたのですが、そこは池袋西口と、光が丘なのです。英語を教えるという仕事なのに、そこで日本語を教わっていたのです。先生がいっぱいいるのです。光が丘のNHK文化センターで教えていました。僕が担当させてもらったクラスは「ずぶの素人の英会話」と呼ばれていました。それを何年もやらせていただいて日本に滞在することができたのです。言葉の翻訳からたくさんの発見があって、もし自分が日本に来なかったらどれほどの発見をできずに終わったかと思います。日本に来て良かったなと思っています。例えば「戦後」という言葉です。1990年の夏、ポスターかチラシかで「戦後」という言葉を見つけたので、辞書を引いたら英語で「postwar」となっています。戦争の後という分かりやすい言葉です。その文字を新聞で見たあと、テレビの特番でまた「戦後45年」と書いているのを見ました。はじめは1945年が第二次大戦の終わった年だから「戦後45年」と言っているのだなと思っていました。そうしたら公共放送でも、民放でもみんな「戦後45年」と言っています。これには驚きました。

アメリカ人にとっての「戦後」とは

 

僕はアメリカに生まれ育ちました。1967年生まれです。だから僕にとって戦後はベトナム戦争です。でも第二次世界大戦は規模が大きかったし、第二次世界大戦に動員された人も使われた予算も大きいから、たいていの人にとっては、戦後は第二次世界大戦のことをいうのかも知れないけれど、そこに少しは説明を加えるのです。そうでなければ第一次世界大戦のことを思っている人もいるからです。その第二次世界大戦が終わったとされる1945年から5年ほどたって、もう朝鮮半島で公共事業(朝鮮戦争)が始まります。その下請けをやったのは日本です。アメリカはそれをやっているときは「警察行動」と呼んでいました。なぜなら憲法が義務付けている宣戦布告を出していないからです。ですからやっている間は、つまり、1950年から53年までは国連の「平和維持活動」と言ったり、「警察行動」の
「police action」と言ったりして、憲法違反を問われないように、政府も軍事産業もメディアも協力して戦争とは呼ばないでいたのです。でも1953年に停戦という形で、公共事業、大規模な儲けは一応ここで、一旦中止させるというときに、「戦後」という言葉を使ったのです。だから朝鮮戦争の地獄を体験した兵士たちにとって「戦後」は朝鮮戦争の後のことなのです。ベトナム戦争だって宣戦布告をしていないから戦争ではないのです。つまり僕の母国はイラクでやっていることも、アフガンでやったことも、中米・南米でやったことも全部含めて、第二次世界大戦以後72年間に20回以上もの戦争をやっているのに、法的に戦争と言えるものは一つもないのです。すべて「平和維持活動」、あるいは「警察行動」、あるいは「国防」です。敵がいつテキサスから上陸するかわからないから先に叩くし、先に叩くというと何をやってもそれは「国防」であると言えるのです。僕は1967年生まれですから日本では戦後生まれです。でもアメリカだと戦中生まれです。ベトナム戦争の最中です。アメリカでは、戦後といったらそれはベトナム戦争かも知れないし、第二次大戦かも知れないし朝鮮戦争かも知れないし、湾岸戦争かも知れない。湾岸戦争は今生々しく体験者の傷として残っています。ですから「postwar」と言って、みんなが45年という言葉を共有できる日本語空間、その言語と、自分が生まれ育った英語の「戦後」は全然違うのです。同じ直訳に見えても、言葉そのものが同じようにできていても、社会の中でどういう意味を持つかというと全く違うのです。

日本では「憲法」が生きている

 

戦後50年の時も僕は光が丘で働いていました。この年にそれまで秘密文書とされていたトルーマンの直筆日記が出てきました。トルーマン大統領はいろいろなことを言っているのです。原爆投下の前に日本の天皇が和平の動きに出たことを知っていたということも書いているのです。気付かずに公開してしまったのか、トルーマンの字は汚いから読めなかったのかも知れません。僕はその前から自分の政府が言っていることと、やっていることのギャップに気付いて、それを掘り起こそうとしていたのですけれど、その戦後50年という年の翌年に広島に初めて行って、そこから大きく自分の姿勢が変わりました。僕が来日した90年から実は「湾岸戦争」という商品名のついた公共事情が始まっていたのですが、その時に戦後の意味、そして日本という国が、ずっと僕の母国の戦争の下請けをやりながらも、海外に軍隊を出して人を殺したり侵略したりはしていなかったという違いがあるということに気付いていました。そしたらイラク軍がクエートに侵攻して、僕がまだ日本語学校の初級のクラスにいる時に、ブッシュの父が「堪忍袋の緒が切れた」と怒りだして、トランプが言っていることに近いのですが、「もう話し合いの時ではない」と言っていました。ブッシュの父がそういうことを言ったことで、アメリカの軍需産業が「公共事業が来た」と言って準備をし始めた、その時に初めて僕は日本語の「憲法」という漢字を覚えたのです。なぜなら新聞に載ったからです。アメリカ政府が、ブッシュ政権が「イラク軍を叩くのだ。サダムフセインは悪魔だ」と言って、多国籍軍を「有志連合」というかっこいい言葉を使って、その中に日本も組み込まれるという流れになってきていたときです。
 僕は日本に来たと言うより「日本語」に来たので、日本のことを何も知らないで来たわけです。それで湾岸戦争が始まるというときに、日本の国会で、湾岸戦争の多国籍軍に日本の軍隊が加わることができるか、できないかという議論が始まって、新聞に「憲法違反か」という見出しで載りましたが、僕は日本の憲法はそれまで何も知りませんでした。平和条項があるなど知らないわけです。基礎知識ゼロでした。漢字を覚えたり、ひらがなを覚えたりして他のことは耳なし芳一のように何も耳に入っていませんでした。そういうことをやっている時に「憲法」という言葉を初めて目にして、辞書を引くと「Constitution」であることがわかりました。僕はアメリカの学校で1787年にジェファーソン(第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソン)たちがつくった「アメリカの合衆国憲法」を学んだけれど、学校で学んだことと、自分が体験した現実とを組み合わせて、中学校3年生の時に僕なりの結論に至った憲法に関する結論は「いいことが書いてあって現実とは関係ない」ということでした。良いことが書いてあるのですが、自国の政府が、自治体が、企業がやっていることと関係がないのです。書いてあることを一つも守らないのですから。ワシントンの町に大きなモニュメントをつくって横断膜を掲げて「毎日楽しい憲法違反」と書けば良いのです。母国の憲法が現実に力を発揮したことをいちども見たことがないのです。ジョン・F・ケネディも毎日憲法違反、ジョンソンも憲法違反、ニクソンも、カーターも憲法違反、レーガンは憲法違反の名手、その後に元CIAの長官だったブッシュの父、そもそもCIAという組織自体が憲法違反です。「アメリカ国民に予算の使い方を全て速やかに公表する義務がある」と憲法には明記してあるのに、CIAは最初から一度たりとも予算を見せたことはありません。「暗闇予算」という名前がついているのです。CIAが今年いくら予算を使って世界で犯罪を行ったかは誰にもわからないのです。そういうCIAのトップだったブッシュの父が天下って大統領になったのです。憲法は昔の建国の父とあがめられる人達がつくって、公文書館に行けばそこに飾ってあって、そこに手を合わせて後は無視する。日本の神棚とかそういうものと同じです。やおよろずの神とあがめておきながら大型の道路を引いて八百万の神を殺してしまう。そういう存在だったのです。ところが日本に来て新聞を見ると「憲法違反か」と書いてある、次の日も次の日も「憲法」がしょっちゅう出てくる。中身ではなく、「憲法」が新聞に載るということがすごいと思いました。僕の国の憲法は僕が生まれる前に生き血を抜かれてミイラになっている。誰も見向きもしない。それが、憲法が議論の中心にあって、結果的には自衛隊をイラクのペテン戦争に参加させることができない。憲法違反だから。僕は日本の憲法は知らないけれど、それだけでも「すげーやつだ。生きてるじゃん」と僕なりの結論に至ったわけです。僕は生きた憲法を初めて見ました。そこで憲法とはなんだろうかと初めて考えました。日本に来て良かった。日本に来なかったら死んであの世に行ってもジェファーソンに合わせる顔がなかったと思います。日本に来たから天国で盛り上がることができるのだと思います。いのですが…。

アメリカの「憲法」

①宣戦布告は議会にしかできない
 アメリカ憲法をつくった人達はすごいと思います。でも基本的人権の保障と言いながら、奴隷制度を肯定したり、奴隷を持ったりで,自己矛盾も甚だしでも彼らは基本的人権、言論の自由、革命を起こす自由などを盛り込んで、自分たちがつくった権力組織がそれによってすさまじい制限を設けて、場合によってはそれによってその権力組織が解体されるかもしない、でもそれは独裁を防ぐ唯一のやり方だと考えたのです。自分たちは権力の座にいられないかもしれないという覚悟でつくったのです。アメリカの憲法は税金を使ったら全部公表せよという、日本の憲法にも欲しかったな、GHQはそう思わなかったのかな…。でも9条に相当するものはない。日本語ができるようになって23歳で初めて憲法に目覚めたから、辞書を引きながら読み比べて見ると、「議会で決めること」が書いてあります。大統領にはできない、裁判所にもできない、議会にしかできない、国会議員のみが決めることのできるリストがあります。その中に「宣戦布告」とあります。それが9条の役割を果たす筈なのです。でもそれは1787年にできた憲法だから彼らは甘く見ているのです。核武装などは想定していなかったのです。だからワシントンのジェファーソンは、彼らが体験した戦争を思い浮かべていて、その戦争をやるかやらないか、勿論戦争をやる場合は宣戦布告をするのが決まりで、その権限を大統領に与えると大統領は自分の利益のために自分の権力を維持するために、あるいはもっと権力を掌握するためにそれを使おうとする危険性がある。独裁政権に成り下がる可能性があるから、主権者の代表が集まっている議会で、彼らだけが戦争をやるかやらないかを決めることができる。そうすると一部の特権階級のための戦争をやらないだろうという判断です。彼らが思っている戦争、ジェファーソンやアダムスが体験した戦争の、その時の最新の開発されたばかりの大量破壊兵器は何かというと、火縄銃なのです。火縄銃と弓矢です。だから戦争は今とちょっと次元が違います。火縄銃を撃ったことのある人はいますか?僕はあるのです。火縄銃を撃つよりは殴り殺した方が早いという感じです。まず弾を詰めて、それから横にして火薬を詰めて、そこに糸を引いて導火線にして、それから火打ち石をかちかちと打って火をつけ、狙いをつけて待ってから撃ちます。だから、「あいつ殺してやる」と思ってから撃つ間に、相手は練馬駅から電車に乗って池袋に着いて山手線に乗ってしまいます。それを制限するために彼らは「宣戦布告は議会しかできない」、つまり無謀な利益のための戦争は止めることになるだろうという、それが歯止めだったのです。ニューメキシコでプルトニウム弾が使われ、それから広島・長崎、それからマーシャル諸島で次々と最先端のプルトニウム弾が使われている時代にどうやって戦争に歯止めをかけるかということを本気で考えた人が、しかもGHQがその中に入っていた。本気で基本的人権と自由と、戦争から学んだ教訓を生かそうとする人達が作りあげた憲法、それが日本国憲法なのです。だからアメリカの憲法とは違うのです。200年以上の年月から学んだものが入っているのです。

②武器を持つ権利と革命の権利

 

アメリカの憲法には日本憲法にはない権利があるのです。アメリカの憲法には「武器を持つ権利」が書かれているのです。みなさんその権利が欲しいですか?アメリカの憲法にはその権利が明記してあるのです。革命の自由と肩を並べる形で入っています。
 当時は機関銃はない、ピストルもない、だから最先端の大量破壊兵器は火縄銃なのです。それで火縄銃と弓矢を持つ権利があるということなのです。武器を持つ権利って一体何のためでしょうか。自衛のためだと思いますよね。他に武器が欲しくなる理由はありますか?武器を持つ権利、みんなが武器を持つ権利があって、政府が武器を取り上げることはできない。権力の座についたヤツら、国民を自分に意のままに使いたい、主権者の筈なのに彼らは怖がらせれば黙ると考えた権力者が出てきたら、彼らが真っ先にやることは刀狩り、じゃない火縄銃刈り。つまりみんなの武器を取り上げて政府だけが武力を持つという状況をつくるかも知れない、そうなったときに市民は政府を倒すことができる。市民の権利の中には革命権が必要だ、つまり政府を転覆させないといい気になりやがるから権力者を引きづり降ろしたり、ギロチンまでやらなくても良いけれども、彼らを倒すことが健全な継続可能な政府をつくるために必要であると考えたのです。ジェファーソンは20年おきに革命が必要だと、自分がその対象になり得ることも覚悟した上で言っているのです。だからこの憲法は武器を持つ権利を保障していて、それはいつでも政府を倒す権利が国民にあるからです。この憲法は政府と市民の力関係を均等に保とうという努力が入っているのです。それを今歪曲されて銃規制ができないのです。

「足し算」から「引き算」へ
 今の現状では革命権は何の意味もない。僕はアメリカ国民だし、ミシガンに一時帰国をしてホームセンターに行けば機関銃ぐらいまでは買える。普通に売っているのです。デトロイトの町にはガン専門店もあるし、ホームセンターでも売っている、去年の11月に行ったのですが、地元のホームセンターに入ったらチラシが置いてあって、もらってきたら、「3段銃大安売り、ライフルの弾は二箱買うともう一箱ついてきます」と書いてある。三箱150発です。狩猟用ですが…。そういう状況の中で市民が手に入れることができるのはそのあたりです。政府はどうか。アメリカ国防総省、僕は「ペテンタゴン」と呼びますが、そのペテンタゴンの持っている飛び道具って最近見ました?日本にはよく落ちる奴を売りつけるのですが、オスプレイですね。使えない奴です。すごいんですよ。核ミサイルが普通にいっぱいあるわけ。だからジェファーソンが言っていた通りにすると、アメリカでは一家に一つ核弾頭が必要になります。だって政府と張り合うのですから。でもそうすると予算がちょっと…、いくら何でも二億世帯に配備するのは難しいから…。つまりジェファーソンの考えていた市民と政府との力関係は、南北戦争の時に北軍が南軍を潰したときから、もう死の商人が世界を支配している。長崎にグラバー亭がありますが、日本も飲み込まれていて、商売として戦争をやり出したときに、市民が同じ飛び道具を持って革命を実現させるということは非常に難しいことです。
 近代以降は市民が餌食、市民が戦争で大量虐殺に遭って、一部の権力者が武力で支配する。そうなったときにジェファーソンたちが言っていた、どちらかというと足し算で、政府が持ったらこっちも持つ、取り上げられることがないようにする、その保障はもうないのです。ジェファーソンたちはそこを甘く見ている。多分あの世でいずれ遭えると思うのですが、ここまできたらもう引き算でやるしかない。引き算の公式がどこに書いてあるかというと、日本国憲法第9条なのです。持たない。こちらが持たないものは持たせない。コスタリカはそれをやっているのです。日本は憲法に書いてあるけれどもやらない。コスタリカはそれをやっているのです。コスタリカは日本国憲法をスペイン語に訳してそれを実現させているのです。そういう引き算でやるしかない時代に、僕らがどうやってこの憲法を生かすか、多分足し算では建設的な方向には進まないと思います。こちらが武力を威嚇の道具にして支配する、でも、相手が持ってしまったときにはもう対処できない。「北」が最新兵器を開発しようとするのを冷静に考えると、大国が今までつくってきた論理をむりやり押しつけてきたときに、自分の国を維持しようと思ったらそれしかないという結論になってしまったということだと思います。どうしてかというと、アメリカはその道を歩まなかったサダムフセインを潰して殺した、その道を歩まなかったリビアのカダフィを潰して殺したからです。世界中で、それをやらなかった人を潰して殺してきた実例をいっぱい見たからです。歴史から学んだ人があの不思議なヘアスタイルでやっているのです。
 僕はデトロイトで生まれ育ったのですが、デトロイトにはガンの店がいっぱいあります。だから欲しければ直ぐ買えます。デトロイトのガンの専門店にステキな中年のご婦人が入ってピストルを探しています。その人は裕福そうなご婦人だったから店のオーナーは一番いいピストルを出してきて、「これは6連発でとても使い易いです。6連発なのにとても軽くて直ぐ撃てるようになります」とか言って、次々と出して見せます。するとご婦人は「そんなに数はいりません、主人一人だけで良いんです」。この小話を聞くとご主人の身を案じてゾッとしますが、でもピストルを求めていたご婦人は、ある意味でとてもマトモです。無差別的ではないのです。標的が定まっているから。だから過剰な武力を求めない。

武器の威嚇が世界を歪める

 

でもピストルの使い方って、僕は自分では使ったことがないのですが、いろいろ見てきて、みんなが思っているような撃つという使い方ばかりではないのです。もちろん撃つ時もあります。それで人が命を失うという悲劇もあります。アメリカでは乱射事件がしょっちゅう起こっています。でもそれはピストルの使い方の100万分の1なのです。毎日人々がどのように使っているかというと、撃つのではなくてピストルを出して「金を出せ」「言うことを聞け」など性的暴力などを含めて、従わせるために威嚇をするのです。だから日本国憲法では武力による威嚇を禁止しているのです。威嚇が世界を歪めているのです。ピストルは威嚇による現実の乗っ取り、威嚇による政治の歪み、威嚇による世界の支配、これが中心なのです。ピストルは撃ったらいけないというのではないのです。持っているだけで、突きつけているだけでとんでもないことをやっている。これが核兵器になったときに世界を歪める。僕らが今生きている世界では、僕の母国は実験と称して1000回以上の核を使用をしている。長崎でプルトニウム爆弾で大量虐殺をしている。広島でウランを使っている。ニューメキシコ、ネバダ、ワシントン州、テネシー州で、核汚染で自国民を大量に被曝させて殺している。これは人類の歴史に於ける最大の悲劇と言えると思います。ソ連も同じ袋小路に入る、イギリスもフランスも、中国がロシアから平和利用の約束でもらって核武装をして、北朝鮮もソ連の平和利用政策で50年代から核の利用が始まる。みんなそうです。日本も1950年代にアイゼンハワー大統領から平和利用の名の下で中曽根康弘と正力松太郎という「カモネギ」コンビが予算を組んでそこから地獄の底まで行くという道を歩んでいる。この流れが20世紀最大の悲劇、21世紀の悲劇をもたらしていると言えるかも知れないけれど、多分核兵器が歪めた世界、格兵器が潰した未来、格兵器の威嚇がもたらした被害の方がもっと大きいと思います。それは測ることができない。なぜなら一つ一つの威嚇の歴史が僕らに言えるわけではないから。でも日本国憲法には威嚇、武力による威嚇を禁止している。それが世界の各国の憲法に必要なのです。

「大日本帝国憲法」は“カニカマ憲法”

 

憲法はGHQの下でつくられたから、「押しつけ」とか言う人がいるのですが、でも彼らは明治憲法と呼ばれる「大日本帝国憲法」がどこからきたのか知っているのかな。伊藤博文がヨーロッパに渡って、プロイセン帝国の偽物の憲法を自腹を切って買ってきて、それを日本語に翻訳したのです。押しつけより悪いですね。自腹偽物憲法なのですから。それを屈辱と思わない。プロイセン帝国の直訳をするときに、憲法っぽく、ドイツ語にはないような言葉を入れているけれど、基本は二番煎じに他ならない。しかもよりによってその当時世界で一番インチキの、一番レベルの低い憲法を持ってきて、日本国民に押しつけた。「押しつけ」ですよ。明治22年、日本ではたくさんの市民が立ち上がって憲法草案をつくっていた。高知では植木枝盛さんたちがつくったし、五日市憲法というものもあった。日本中に素晴らしい憲法があって輝いているときに、伊藤博文が戻ってきて、日本国民に世界の最もレベルの低い破綻している憲法の偽物を押しつけた。そこを見抜く必要があると思うのです。
 僕らが今の憲法を生かして、権力の暴走に歯止めをかけようと思ったときに、「大日本帝国憲法」とは何なのかということを踏まえて「押しつけ」と言うアンポンタンたちに突きつける必要がある。多分知らない人が多いのではないかと思います。僕は「大日本帝国憲法」を大分後になって読んだのです。偽物としてはよくできている。でも憲法ではないのです。歯止めをかける装置とかを全部捨てているからです。プロイセン帝国はなくなって良かったのですが、日本国憲法は、大日本帝国憲法という偽物によって壊されそうになっている。「大日本帝国憲法は偽物だ」と僕は言っていたのですが、なぜか伝わらないなと思っているのです。
 池袋の友達の家に行って酒を飲んでいたとき、つまみになるものがなかったので冷蔵庫を開けたら、パックに入った赤と白の筒状のものがあったので開けたら、蟹のような匂いがする。かじってみたら確かに蟹に近いような味がする。原材料を見ると蟹のかの字もはいっていない。その時にそうだ明治憲法は「カニカマ憲法」なのだと思いました。カニカマ憲法は権力に歯止めをかけない、カニカマ憲法は僕らの味方にはならないのです。
 基本的人権もゼロ、でも憲法ぽく書いているから、何も仕組みを考えないで使うことはない人達はそれで憲法があると錯覚する。でも今の日本国憲法は、奇跡的に冷戦の始まる前に、幣原内閣の中の本気になった人達がつくりあげたものが形になって出た。でも出た後でアメリカ国防総省の連中はしまったと思って警察予備隊とかを作り始めた。日本国民は、体験をして破壊され、全てを失った中から戦後をつくってきた人達、戦後を体験してきた人達ではなく、つくった人達が今の憲法をいろいろな形で生かしてきたのです。憲法は今まで完全に暇というわけではなかったのです。けれど、僕らはもっと日本国憲法を忙しくして、ヒロさんが憲法のものまねができないくらい活躍させる時代に来ていると思います。僕は戦争を体験した人たちの話を聞いて、戦後を誰がつくったかを具体的に聞いて、この本をまとめる時にそれをつくづく実感したのです。

「憲法くん」と「ドームくん」

 

今日は「ドーム物語」という本を用意しています。原爆ドームが主人公の物語で、ドームが一人称で語ってくくれるのですが、タイトルをつけるときに「ドームくん」にしなくてよかったなと思っています。僕がこの本を出したのは今年、考えたのは7~8年前です。でもヒロさんは20年も前から「憲法くん」をやってきているのですから、どう考えても「憲法くん」の方が古いです。「はじめまして僕の名前はドームです。僕に会いに来てくれてありがとう。遠くから広島の町にやってくる人は原爆ドームと僕を呼びます。けれど広島に住んでいる人はただドームって言うんだ。原爆って僕にとっては名字みたいなものなんだ。僕の後ろに路面電車が止まるとマイクで“原爆ドーム前”と言う。でも僕から見るとあれは前ではなくて後ろだ。何で原爆ドーム後ろっていわないんだろう。前には川が流れている。100年前も今も…」というふうに語るのです。これをつくっているときは全然「憲法くん」のことは頭になかったのです。「憲法くん」を僕は今日初めて聞かせてもらいました。「こんにちは憲法君です。姓は日本国民、名は憲法」そっくりなんです。「原爆って名字なんだろうか」と言わせたところも…。
 ヒロさんはこれから楽しい印税生活に入ろうとしているのではないかと思いますが、でも明らかにそのアイデアをいただいちゃったのですね。今日は本当にいろいろな気づきがあったのです。その内の一つは不謹慎なのですが、松元さんは「朕思うに」の朕の語源を語ってくれました。男の真ん中と。まあ語源の信憑性はともかくとして、1945年の8月に放送された「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み、非常の措置を持って時局を収拾せむと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ」という言葉から始まるのです。でもその朕を辞書で引いたり調べたりしたことありますか?朕を英語に訳すとどうなると思いますか?下々のみなさんが言うときは何と言いますか?…私(と司会者が答える)…そうです、それで良いのです。天皇の一人称だと思うでしょう。でも英語の辞書では「I」ではないのです「We」なのです。だから「朕」の中に「汝臣民」も入っているのです。「朕」は一網打尽の一人称、朕を名乗ることが許される人が「朕思うに」と言ったときには「一億総意」、これが日本語の文法なのに日本のみなさんは気付かない、僕だって知らないけれど、辞書を引いたら「We」となっているのです。考えたら「We」ですよね。文脈を読んでいくと全部「We」なのです。それが1947年に変わったのです。
 でも自民党の憲法草案に戻したときに、またそういう一網打尽のことができる。どうしてかというと一人ひとりの基本的人権がなくなるからです。僕らは今その瀬戸際に立っている、僕は国籍はアメリカですけれど、日本にいてこういう話をしたり本を書いたりしているので…。僕は多分ヒロさんの次に憲法21条のお世話になっている一人です。だって21条には集会結社、言論、出版、その他一切の表現の自由はこれを保障すると書いているからです。これで僕はシャバにいられるのです。これがなくなったときに、まあヒロさんが先だと思うのですがシャバにいられなくなる。その一網打尽というのはみなさん一般市民だって思っている人もみんな含まれているんです。どうしてかというと捕まった瞬間にあなたは一般市民じゃなくなるからです。今は一般市民かも知れないけれど、捕まったら一般市民ではなくて容疑者になるのです。その一般市民で僕らがいられることも、この憲法が保障しているのです。この憲法をどうやって生かして使うか、それが問われると思います。憲法くんにみんながなって、「一億総憲法くん」という流れでみなさんと一緒に笑っていけたらと思います。
どうもありがとうございます。